重いもの続き...?

先日、1泊2日の会議があった。

そこで久しぶりに同期2人に会った。

夜は特に指定がなかったので、同期で集まることにした。

そこでは仕事の辛さやこれからを、皆思い思いに喋った。

私は、そこで自分の中にくすぶる思いを言ってしまった。

 

もともと生きることに執着していないこと。理由は、これまで生きていて良いことがあったわけでは無いので、これからも生きるのに大した希望を持つに至らないから、である。

楽しかった記憶がないわけでは無いが、辛かった記憶がそれらに覆いかぶさり、辛さが勝る。

でもそれでは問題がある。このままではきっといつまでも中途半端で、それは非常につまらないものだという自覚がある。だからどうにかしてこの考えを変えたい。が、全てを無にしたい気持ちの前にはそれもあまり良い戦力にはならない。

さて、どうしたものか...

自分のことになるとよく分からないから、同期の2人にどうして生きるのか聞いた。

1人は、したいことが沢山ある、これらをやるまでは死ねない、とのこと。

からしたら死ねばそんなの0になるのにどうして拘るのか分からなかった。

もう1人は私同様、あまり分かってないみたいだった。

 

難しい話になってきたし、先輩らからお呼びがかかったので、同期会はこの辺でおしまいにして先輩らの前に向かうことにした...

 

先輩らとよく分からない話をし、会が解散となり部屋に戻り、寝るその時まで私の頭の片隅にはさっきの問題があった。

 

この1週間が終わって休みの日、バックグラウンドで動いていたこれを表に出して、じっくり向き合うことにした。

 

自分で「なんで生きる意味を求めてるのか、そもそもなんでその意味を問うのか」から始めて、考えた。自分との対話形式で、複数ある答えを出しながら、それらにあーでもない、こーでもない、と唸り、結論としては出なかった。

意味なんてないのか、そんなことあるまい。

生きることには意味がある、という思い込みが前提にあった。

自分の思考力に限界を感じたので、ネットの海の答えを見つけることにした。

いろんな記事、ブログを読んでなんとなく合点がいったような気がした答えがあった。

「生きることに意味なんてない」

論理的に書いてあった。

私もこうして生きる意味を考えていた、しかし見つからない、あるはずだという前提のもと進む自分会議。でも見つからないのなら、それはつまり生きる意味なんて無いってことではないか?ということだった。

そう設定して良いのかって、なんか肩透かし食らったみたいになった。

でも事実そうかもしれない。

とりあえず今の私は、生きるのに意味なんて無いというスタンスで生きることにした。

意味なんて無いから、何したって意味をなさない。好きなことをしてもどうでもいい。

でも、どうでもいいからこそ、どうせ生きるのなら、笑って過ごしていきたいなって。

今抱えているものに対して、自分の答えを突きつけていきたい。

面白く転がってくれる方に、すすみてぇな。